<超仮説>部活問題を考える!

部活問題は、すでにみんながわかっている問題だ。
部活ボランティアで先生たちが死にそうだ。だから、なり手も減っている。
明らかな問題を放置するのがこの国は好きなようだが、僕は嫌いなので解決策を考えてみる。

ということで、さっそく教育ガラガラポンメンバーとともに、現役の私立中高で運動部の監督・顧問をしている2人の先生に実際に話を聞いて、そこでのディスカッションを踏まえ、コラムにまとめてみた。


寄稿:福田 崇(株)電通 クリエーティブ・ディレクター
教育ガラガラポンプロジェクト代表
カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル2015審査員


部活の問題は、働き方の問題だ。

まず、ヒアリングで普通に驚いてしまったのは教育現場には時間外勤務(いわゆる残業代)が基本的にはないということ。実は、いまで言う裁量労働制が、「給特法」という昭和46年、僕が生まれる前にできた法律で決まっており、

時間外勤務手当は支給しない
給与月額の4%の教職調整額として支給する
校長が教員に時間外勤務を命じることができるのは、4項目かつ臨時・緊急時のみ(例えば、修学旅行や災害時)

やる気があればあるほど、サービス残業が横行する状態で、その上に部活顧問として部活の成績をあげようと思えば、練習及び大会でサービス残業=ボランティア活動が増えまくり、休日勤務は当たり前(ボランティア)、家族はないがしろにされ、やりたいことを仮にやっていたとしてもストレスは積み重なるわけである。それが給与の4%って(驚!)。

この問題については、最近教員の残業代について注目の訴訟が行われた。結局原告の請求は棄却されたが、裁判長は「もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ない」「現場の教育職員の意見に真摯(しんし)に耳を傾け、勤務時間の管理システムの整備や給特法を含めた給与体系の見直しなどを早急に進め、教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望む」と時代遅れをようやく指摘した。

朝日新聞:教員の残業代支払いめぐる訴訟、原告の請求退ける さいたま地裁

もはや部活問題に限らず、教員の働き方改革は、誰もがわかっている問題なのだ。

部活は、スポーツなのか!?

部活の話に戻すと、先生の負担はもちろんのこと、生徒側としても、僕自身にも経験があるが、スポーツ経験のない顧問、経験があっても一流ではない顧問に理不尽な練習を押し付けられ、僕が学生の当時は水を飲むことを禁じられ、死にそうになる部員がたくさん出たのに、それを罰としてさらに走らされるなどという拷問レベルの部活動が横行していた。

いまでは、さすがにそんなことはないだろうが、経験のない人間の教えは生死に関わりかねない。もちろん上手くならない!楽しくない!さらに、経験があってもアップデートされていないおじいさんコーチやお偉いさんがいろんな問題を起こしていることも、みなさんご存知のはずだ。

プロコーチにゴルフを習っている僕からすれば、本当にスポーツがうまくなりたければ、コーチをちゃんと選んでちゃんとお金を払って教えてもらう、それで自分の人生を豊かにするというのは必然であり、無茶苦茶な教えで大好きなスポーツがやりたくないものになってしまうのは一生の損である。

スポーツの楽しさをちゃんと教えるべき。それは学校にはできない。
プロの仕事だ。

スポーツに関して言えば、僕は人生を豊かにしてくれるとても重要な活動だと思っている。やれるスポーツを持っているかいないかで人生の充実度が大いに変わると思う。

特に生涯スポーツと言われる、マラソンやゴルフやテニスやバトミントンや卓球(野球やサッカーやラグビーは素敵だけど歳をとって続けるのは辛い)、柔道、剣道、合気道といった武道、スキーやスノーボード、釣りやサーフィンといったスポーツに人生の早い段階で出会うことは人生を本当に豊かにする。

だから、学校がその出会いを提供するのは大賛成だ。

あくまでその出会いを提供することには大いに意味があるが、そのスポーツそのものを提供するのは学校の機能ではない。そもそも、一部の体育の先生にしかその専門家はおらず、スポーツ=青春系の楽しみは学業とは本来直結しない。

なので部活を生徒の主体的活動として場だけを貸すというスタンスの学校もあるが、そのケースでも結局安全監督責任は学校に発生するため顧問が必要となる(働き方は変わらない)。

国の見解も曖昧で、部活は教育の一部だという見解もあれば、社会教育法では社会教育(社会の中で面倒をみるものだ)と定義している。

国も対策は検討している。この経産省の考えは僕の考えとほぼ一致している:地域×スポーツクラブ産業研究会の第1次提言について

もし、プロ野球選手やプロサッカー選手になるために学校に行かせたいなら、スポーツスペシャル学校を選ぼう。普通の学校はそういう場所ではない。

世の中には甲子園に行ったり、高校サッカーで活躍する学校があって、そのブランドで人気を獲得しているが、それはスポーツスペシャル学校なのだ。特別な環境があって、特別な監督がいて、特別な練習をしていて、特別な生徒を集めている。それを当たり前に求めるのはやめよう。

アメリカに錦織圭選手が育ったIMGアカデミーというスポーツ専門機関があるが、ほぼそれに近いと言ってもいい。

つまり、本来は学校が提供する価値ではないもので差別化を図っている本当に特殊な存在なのだが(いっそスポーツ高専という新カテゴリーにしてしまった方がいいという説も)、甲子園や高校サッカーを見ると、あれが普通に見えてしまい、親の期待にもつながってしまうのがおかしなところなのだ。

極論を言えば、学校の広告手法のひとつで、みんなそれにハマっているのだ。

部活を変えよう。スポーツは「しつけ」のためには存在していない。

普通の学校の部活に求めるべきは、スポーツが上手くなる自己肯定感、チームワーク、加えて将来スポーツが人生を豊かにしてくれることを教えてくれることだ。もちろんその中にも勝ち負けはある。でも、勝たなければならないことはない。

あなたがもしスポーツにマナーやモラル、もっと学校風に言えば「規律」「しつけ」を求めているとするならば、それが学校や顧問の先生の勘違いを助長し、生徒を不幸にしたり、スポーツをつまらなくする要因だ。

もちろん、スポーツそれぞれにマナーやモラルはあるが、サッカーと野球、ゴルフではそれぞれ異なるし、スポーツにはルールを守ることを始め「しつけ」の要素はあるが、それが主ではまったくない。

スポーツは「しつけ」のためにあるのではなく、楽しむためにあるのだ。

野球に罰走という、ミスをしたら走るという練習があるが、その走りに意味がない練習を強要するのはパワハラでしかない。

プレジデント:ダルビッシュ有が早大に負けた巨人阿部2軍の「罰走」に物申したワケ

スポーツに「教育=しつけ」を求めるのをやめてみよう。そこから変われる!

スポーツはズバリ、趣味・楽しみ・ライフスタイルである。そして、学生たちにとっては、青春なのだ。青春とは、学生が心からやりたいこと。

恋愛だって、音楽だって、ゲームだって、SNSだってみな青春。スポーツもその一種だ。これらの素晴らしいのは、心からやりたくてやること。

その心は大事で、学校も応援すべきだと思うが、それがいま、先生たちの「専門外の負担」となっているのだ。これを学校の外に出す方法は果たしてないのだろうか?

スポーツが純粋に楽しめば楽しむだけ学びの効果がある、としてみる。ならば、スポーツを学校という狭い、「規律」「しつけ」を主として教えたがる範囲に置いておく必要はない。

むしろ、地域のチームの中でプロコーチはもちろん、いろんな経験を教えてくれる大人たちなどダイバーシティあふれるチームメイトと一緒に学んだ方がいいに決まっている。

つまり、学びのためのスポーツは、こうなる。

新部活構造!
青春系部活=スポーツ&趣味に関しては、
地域のスポーツクラブや教室を「学校提携クラブ」として紹介する。

学校は地域のスポーツクラブや文化クラブと提携交渉を行い、大人たちも含めて会員と一緒に練習できる環境を整備する。そこには、もちろん対価が発生する。

それに対して、(僕は学校のファイナンスがわかっていないが)予算があるならば、仮に半分は学校負担、半分は学生負担としよう。青春には金がかかるのだ。

その半分を払いしぶる家庭は残念ながらスポーツは諦めてもらう(趣味であり純粋な楽しみなんだから、金がかかるのは当たり前!)。

スイミング、ダンス、ボディビルディング、スケボー、ボルタリング、チアリーディング、将棋、囲碁、書道、落語、陶芸など、これまで学校や学生がつくりたくてもつくれなかった部活もつくることができる。社会人含めダイバーシティのある仲間もできる。もちろんプロに教われる。これまでの閉鎖的な部活とはだいぶ雰囲気も変わるはずで、パワハラもいじめも起きない。なぜなら、そのクラブの存亡に関わるから。

民間ではそのリスク管理は当たり前で、学校という狭い場所に押し込めるからメンツの話になりハラスメントになる。また学校の充実したファシリティを地域クラブに開放することで対価を安くする交渉も成立するだろう。

重要なのは、主体はそのスポーツクラブ、文化クラブであって、学生は学校の援助を受けながらそのクラブで活動する、つまり学校の外で活動をすること。これで学校の管理責任は無くなる(立ち会い不要)。

ただ、それで参加できる大会が制限されるのは残念なので、学校名で参加できるように認可を与え、その場合にはおそらく引率の教員が必要になる。そこは学校の成果につながることだから先生たちも喜んで協力しよう。

あとは地域にそれだけの豊かなスポーツや文化環境があるかどうか。部活を地域で支えるとなると地域力も問われるようになり、それが地方活性化にもつながるのではないか?

実際、教えられる人はたくさんいるのに、その場がないというのがいまの日本のスポーツ・文化経験者がセカンドキャリアで悩んでいる部分でもあり、この活動が逆にそんな地域の隠れたプロフェッショナルたちを発掘することにもつながるのでは。

一方、学びの部活は学校の中心である。

大学にはゼミという活動がある。教授が自分の教えたいことを伝授するために、生徒を集めて、魂を込める活動だ。

ゼミ以外の一般教養には僕はほぼ意味がない大学生活を送ってきたが、ゼミでは魂を注入された。それぐらい濃い体験・人生を変えるような影響力がそこにはある。

高校には、中学には、なぜゼミがないんだろうか?

地学の先生が地質部をつくっている、物理の先生が物理部をつくっているなど、実はゼミはすでにある。ただ、それが地味で日陰な文化系勉強系部活として、スポーツ系部活と対比され、これまで見えてこなかったのだ。思いっきり、日向に出そう!ネーミングから変えよう!

青春系部活は外部機関との提携で外に出した。中では、何をするのか?と問われれば、「学び」を充実する。青春系の部活から解放された先生たちには本当に教えたいゼミを運営してもらう。もちろん週1とかで十分。

運動部とは異なり、負担は軽くなり、やりたい気持ちは1000倍!先生がやりたいことをやるのが学校にとって健全な姿だ。その上でいまやたくさんのコンテストが日本中、世界中にあるので、そこで成果を上げる。学びの作り方は今回詳しく語らないが、こちらこそ企業連携、大学連携など工夫のしがいは山ほどある。

結論:青春は外でやろう!学びは中でやろう!

日本の学校教育は欲張りすぎた。勉強も運動も。これはおそらく富国強兵時代から変わらない伝統なんだろう。優秀な兵隊をつくるシステムには運動は欠かせなかった。そこで規律を教える必要もあった(=しつけ)。でも、時代は大きく変わった。スポーツは楽しむもので、規律を教える道具では決してない。学びは覚えるためのものではなくて、深めるためのものだ。

そのための最適な形に日本の学校はなっていない。だから、変えよう。他の形ももちろんあると思うが、ひとつ部活を切り口に新しい学校の形を考えてみた。


▽福田氏 寄稿「もういい加減、子どもたちと大人たちでは危機感が違うのである」

結論:もういい加減、子どもたちと大人たちでは危機感が違うのである

▽福田氏 寄稿 なぜ、電通 クリエーティブ・デイレクターは、「あたらしい校長挨拶」を執筆したのか?

なぜ、電通 クリエーティブ・ディレクターは、「あたらしい校長あいさつ」を執筆したのか?

本記事は、教育ガラガラポンproject の会員が投稿した記事です。
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