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インターナショナルスクールの校数は、平和の指数

インターナショナルスクールの校数は、平和の指数

インターナショナルスクールの発祥について調べていくとわかることがふたつある。

ひとつは、戦争の前後に、インターナショナルスクールの数は増えていない。

ふたつめは、平和な時代が続くとグローバル化と経済成長がともない、インターナショナルスクールの校数が増える傾向にある。

日本のインターナショナルスクールの幕開けは、明治の外国人学校が土台となっている。

明治以降、日本は日清、日露、第一次世界大戦を挟んだ時期、外国人学校は、ほとんど増えなかった。

第二次世界大戦の前には、インターナショナルスクールとナショナルスクールを含め、多くの学校が休校に至った。

第二次対戦後のインターナショナルスクール増加

第二次世界大戦後、復興期に外国人学校とインターナショナルスクールとナショナルスクールが増加する。

高度成長期には、日本全国でインターナショナルスクールの設立が増えたが、その背景には、米軍基地の存在があった。

基地関係者を対象とした学校は、その後、基地の撤退とともにインターナショナルスクールとして引き継ぐ例が多く見られた。

高度成長期の後半からは円高の進展とともに「留学ブーム」が広がった。

留学世代が親になった時に「プリスクールブーム」が1990年代以降、広がることとなる。

バブル経済後、グローバル化の進展とともに保育の待機児童増加など社会的な要因もあり、プリスクールは、幼稚園、保育園(こども園を含む)に続く第三の幼児教育機関として定着した。

プリスクールの増加とともに、主に英語で学べる教育機関を求めるニーズが高まり、小中高とインターナショナルスクールの増加をもたらした。

現在、編集部の調べによると国内に小中高の教育課程のある学校は、60校のインターナショナルスクールが存在する。

国内のインターナショナルスクールの増加を歴史的に振り返っても、戦争、紛争時に増えていない。

そのため歴史的な経緯からも、インターナショナルスクールの増加は平和の指数といえる。

戦後に焼け野原から開校したインターナショナルスクールの創立者は、「生徒ひとりひとりが外交官である」をモットーとした。

インターナショナルスクールの校数が増えることがあっても、決して、減らしてはならない。

インターナショナルスクールの校数は、日本と世界を繋ぐ平和の指数である

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