この記事は、先日行われた「未来の先生フォーラム」にて発表した「あたらしい校長あいさつ」という講演をベースにしたものです。きっかけはこの春、僕が大阪府の民間校長公募に応募してみようかな、と思ったことです。僕が校長だったら、こんな風に先生方を鼓舞して、新しい教育、学校をつくりたいなという妄想です。あくまで教育現場経験のない人間の戯言ではありますが、込み入った事情を知らないからこそ発想できる部分もあるはずだと思っています。
福田 崇 (株)電通 クリエーティブ・ディレクター
教育ガラガラポンプロジェクト代表
カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル2015審査員
あたらしい校長あいさつ
このあいさつは、僕が民間出身校長になったら・・・という架空の設定で、赴任校の先生たちに向けた最初のあいさつのイメージです。
学校にもブランドが必要な時代
僕はこれまでブランドをつくるということを専門に広告代理店でクリエーティブ・ディレクターという仕事をしてきました。(安心してください!やめてませんよ、このお話の中での設定です)
ブランドというのは牛の焼印に由来する言葉で学校で言えば校名であり、校章です。
ぼくの卒業した開成高校にはペンは剣より強しを表す校章があり、そこにはいいイメージも偏ったイメージもたくさん溜まっている。そこには真実もあれば、単なる思い込みもたくさんある。つまり、ブランドは名前やマークを見たときのイメージの総量のこと、だから、ブランドは「それぞれの人の頭の中の預金口座」とも言われています。
2021年、子供の数は最少を40年連続更新。学校は必然的に生き残りを迫られます。
一方で、新しい価値を付与した学校はどんどん新設されています。
ブランドイメージのない=存在意義のない学校は、どんどん畳まれていきます。One of themは要らない。あの学校に行きたい、あの学校であれを学びたい、という具体的なイメージが公立校といえども必須な世界が始まっているのです。(セーフティネットとしての公立校は大事だけれど、それにしてもそこのプロが必要だと思います)
例えば、甲子園常連校というのも一つかもしれませんし、東大合格常連校というのもそうかもしれません。でも、この戦いはレッドオーシャンである上に本質ではないと思います。それを解説します。
高校生活=税金のような勉強+青春
極論ですが、これまで日本の高校の3年間は税金のような勉強と、青春で構成されてきました。
税金とは、払えと言われるから払うもので自分から払うものではありません。同じようにその勉強をすることで大学に行きやすくなるからする勉強(受験主義)であって、自らやりたくてやる勉強ではないという例えです。
一方、青春はこの年齢の子どもたちが心からやりたいことです。部活、恋愛、ファッション、音楽、ゲーム、SNS・・・なんでもあれです。
先ほど例にあげた甲子園常連校は、青春を突き詰めたタイプの学校です。一方で、東大合格常連校は、税金を突き詰めたタイプの学校です。(実態は文武両道など、そんなに単純じゃないのはわかっていますが、ここでは単純化します)
勉強も青春もどちらにしても突き詰めた場合、
そこに「学び」が生じる。
突き詰めたからこそ、たどり着く本質は必ずあると思います。だから勉強も青春もどちらにも意味があります。だから、これらの学校には存在意義があるのです。では、その「学び」とはなんでしょうか?
学び=社会に出たときに糧となる(役に立つ)勉強であり、経験
かつての僕の会社には、勉強がものすごくできる人も、運動がものすごくできる人も、親がものすごく偉い人もいましたが、みんな稀有な経験をもとに他人にはない能力を発揮していました。
「学び」は、対象はなんでも良くて、突き詰める、多くの人には経験できないレベルまでやることによって初めて得られるものと言えます。では、突き詰める対象は、税金勉強か、青春だけでしょうか?
もっと「学び」に適したいい材料を提供できる学校、「学び」を主目的にした学校があってもいいんじゃないでしょうか?
では、何を学べばいいんでしょうか?「学び」の対象は何でしょうか?そこから考えませんか?
あえて言えば
「学び」は、クリエーティブ=創意工夫です。
「未来の世界に必要となるであろう知識や経験を教師も生徒も一緒につかみにいく行為」だと思います。教科書にもそれは書いてあるかもしれません。ただ見つけ方がわからないから税金のままなのです。
「学び」は学べる。学び続けなければならない。
なぜなら、未来の形はどんどん変わるから。
僕がいた広告クリエーティブの世界にも、かつて僕が審査員をしたこともある「カンヌライオンズ 国際クリエーティビティ・フェスティバル」という世界のクリエーティブの最先端を紹介する「学びの装置」があり、常に学びをアップデートしています。このような装置はどの世界にもあります。
だから、先行事例に大いに学び、取り入れながらも、教師、生徒をごちゃ混ぜにした創意工夫の中から新しい「学び」というのは生まれてくると思います。
いい学び=面白いことが大前提
そして、いい学びはみんながすぐわかるものです。
なぜなら、面白いから。
面白くない勉強は税金です、だから嫌々やるのです。それが面白いから「学び」になりうるのです。
面白くて、自らやりたくなって、社会で役に立つ、社会にも役に立つ。そんな「学び」を提供できる学校は、残念ながら多くない。だから、我々でつくりましょう!それが本校の存在意義です。
結果は生徒の未来。
一方で「受験主義」的な結果が出ないことに不安に駆られる先生たちもいらっしゃるでしょう。みなさんは何らかの科目の専門家で、それが大好きで、それを教えることを「天職」としている方々です。
ならば、その科目に夢中になる生徒をひとりでも多く生み出す授業をクリエイトしてください。それこそが「学び」です。夢中になった生徒に「受験主義」的な結果がついてこないわけがありません。
あのときやったあれ、
あのときのあの先生の話が
今生きているなーと
大人になってから思い出す高校時代
それをつくることを先生方の「天職」(やるべきこと)にしませんか?
この公式が本校の経営方針・経営戦略です。正直、この国は未来を失いつつあります。公立も国も関係ありません。潰れるときは潰れます。
だからこそ、
子どもたちの未来も学校の未来も創意工夫なしにはつくれない
この認識からすべてを始めませんか?
最後に、そんなこと言ってもさ・・・という現実もわかります。問題は簡単です。こういうあたらしい「学び」づくりを肯定してくれる「変わる、進化する大義の存在」が、今の学校環境には足らず、変わらない無難さが圧倒的に勝っていることです。だから、僕が校長になろうかと思った次第です。なったら、思いっきり肯定します!
なんなら、変わらないと非難されるぐらいでちょうどいいんじゃないでしょうか?民間企業はこういう厳しい常識の中で生きています。
未来は常に変わっている。
それに合わせて教育が変わらない限りは、
教育の(本校の)存在意義はないのです。
文章:福田 崇
参考資料:福田氏が考える具体策(例)
▽福田氏 寄稿「もういい加減、子どもたちと大人たちでは危機感が違うのである」
本記事は、教育ガラガラポンproject の会員が投稿した記事です。
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