教育界の新たな潮流であるオルタナティブスクール。画一的な教育ではなく、生徒一人一人の探求心に基づいて自律的・主体的な学びを尊重する教育スタイルは、多様性への理解が深まるとともに存在感を増してきました。
私立校の教員として日本語版インターナショナルバカロレア校を立ち上げ、ICT教育の推進にも一役買ってきた五木田洋平さんが、オルタナティブスクール界へ転身したのは2021年のこと。両極ともいえる教育スタイルを熟知する五木田さんだからこそ見える、日本の教育制度の課題、オルタナティブスクールの可能性とは-。本連載は、2022年8月に行われた埼玉大学教育学部での講義内容を中心に、五木田さんの言葉でつづるコラムとしてお届けします。
五木田洋平(ごきた・ようへい)氏
10年間私立小学校の教員として勤務し、2022年に開校したオルタナティブスクール・HILLOCK初等部の設立から参画、現在に至る。ICTを用いながら学習者同士の気付きを促す学びの場を構築する活動を行っている。また、シンガポール日本人学校の研修講師や、大学の特別講座の担当、勉強会の企画運営も行うなど幅広く活動している。HPはこちら。2022年2月、初の単著「ICT主任の仕事術 仕事を最適化し、学びを深めるコツ」を刊行。
僕とあなたと学校と
-オルタナティブスクールの教員が国立大で講義してみた
僕は「子どもが主役で、その育ちや学びを大人が支える」少人数制のオルタナティブスクール『ヒロック初等部』で教員をしています。
こういった特殊なスタイルの学校の教員が、公教育の未来を担う埼玉大学教育学部の1年生200人に講義をする機会を頂きました。
埼玉大学教育学部といえば、全国の公立校に多くの教員を輩出する長い歴史を持つ学部です。そんな将来有望な学生に対して、僕は「教育はもっとカラフルなものだ」と伝えたくて登壇しました。
僕とあなたと学校と-。これが今回、大学生に向けた講義のテーマです。
連載① 3つの「ない」が引き起こす貧しさ
大学生に講義するにあたり、僕の教育への価値観のようなものをお話ししました。
正直に言いますと、僕は貧しい国には住みたくありません。それは続く円安や産業の低迷といった話でもなく、後進国を下に見ているといった話でもありません。
国立大に合格するほど優秀で教育の良い面を享受してきた皆さんだからこそ、一度立ち止まって「貧しいということ」「豊かであるということ」について考えて欲しかったからです。
1つ目の「ない」‐権利がない-
貧しいと言うのは決してお金がない状態のことをいうわけではありません。「何かをしたい」と思った時に権利がなければ何も行動に移せません。そんな状況は豊かな状況とは言えません。
学校教育の現場に例えて考えてみましょう。
全国のいたるところでブラック校則と呼ばれる子どもの権利を奪うような校則が乱立されています。多様性を重んじる時代には明らかに時代錯誤です。
学校の外にも目を向けてみましょう。
公園ではボール遊びをしてはいけなかったり、元気な声を出してはいけなかったり、本末転倒なルールが敷かれているところもあります。
働く教員の立場にも立ってみましょう。
教員も同時に不自由さを感じています。隣のクラスとやっていることが違うと「不平等だ」とクレームが来る事案が相次いでいるそうです。
その結果、目の前の子どもたちに合った授業方法が選択できなくなります。また、前例や他の学校の動きに忖度しなければならず、その学校独自の強みを生かした活動もしにくいそうです。またそれらは教員の権利を奪っていると同時に、子どもの権利と成長も奪っています。
2つ目の「ない」‐選択肢がない-
日本の小学校の98%は公立小学校で、残りの1%は私立小学校です。インターナショナルスクールやオルタナティブスクールは「はずれ値」といってもいい数です。
つまり、日本の子どもにも保護者には、選択肢の98%は同じ選択肢なのです(98%の公立の中にも違いはありますが、前述の通り違いを出しにくい状況です)。そのような状況も「豊かな状態」とは言えません。同時に、教員の活躍の場のほとんども、公教育ということになります。「教育」という非常に価値が高く、人生において影響が大きい領域にもかかわらず、です。
3つ目の「ない」-自信がない-
お手元の端末で「自己肯定感 グラフ 画像」と調べてみてください。おそらく自己肯定感が低下していることを表す多くのグラフが出てくるでしょう。
どうやら日本の子どもたちは自信を失いやすい環境で生きているようです。それも当然だと思っています。権利も与えられなければ選択肢も与えられない。唯一与えられることは、受験競争や学業や部活での成績を争うことだけです。そのような環境では自信を持てというのも難しいことでしょう。なぜならば必ず誰かが「劣等生」になる構造だからです。
教員に対しても同様のことがいえます。事実、教員の離職の原因は精神疾患であり、教員の自己肯定感が先進国の中でも低いという記事すら出ている状況です。
個人的にこれらの考え方は1998年にノーベル賞を受賞したアマルティアセンが提唱した「ケイパビリティアプローチ」(※)から影響を受けています。
※自由を実現するためには「財」があるだけではなく、「財」を使う能力や権利が必要だという考え方。
だから僕は学校を創った
「豊かな状態」とはこれらの真逆の状態を指すと言えるのではないでしょうか。学習者や教員に「権利があって」「様々な選択肢を取れて」その結果、自分は自分でいいんだという「自信がつく」。そんな場所があれば、この国にも希望の光が指すと思っています。
だから僕は、仲間と共にヒロック初等部をつくりました。この話を講義のはじめにしたのは埼玉大学の学生に、「教育は人にも国にも影響与えるとても大きな存在だ」ということを最初に認識してもらいたかったからです。
とはいっても、全部の公立、私立校がなくなり、全てがオルタナティブスクールになったほうがいいと思っていません。事実、アメリカ等の国では公立の教育を民間に委託された学校が増えましたが、学校自体が崩壊しているケースもあります。オルタナティブにも課題があることも事実です。
大切なのはこの国に多様な子どもたちを受け入れる、さまざまな教育を行える場所が創られることです。それは公教育の中の授業を1つとってもそうですし、学校を創るという選択をすることもその1つです。そういった選択肢がある状態で学生一人ひとりが自分の強みを生かせる場所を選んでほしいと思います。
(連載2へ続く)
写真・資料:五木田氏提供