教育はなぜジャンプしなければならないか?
教育ガラガラポンproject 代表
電通 クリエーティブ・ディレクター 福田 崇
日本は幸いなことに一国の島国の中で経済が回っていた。
それがもうそうでなくなることは大人は全員わかっているのになんか見て見ぬふりをしている。僕もそのひとりだったのかもしれない。2019年に教育ガラガラポンプロジェクトを立ち上げて、生の中高生の声を聞くまでは。
ダボス会議の話 2019年に僕は3度それを中高生が言うのを聞いた
新しい教育を研究するプロジェクトを立ち上げた2019年に学生たちがプレゼンテーションをする場面に3度参加し3度とも同じ数字を目にすることとなった。それは65という数字。2013年のダボス会議において、「未来の仕事の65%はまだ存在しない」という報告がされた。
この数字は未来に不安を持ち、自ら道を拓こうとしているプレゼンテーションの主体である中高生にとっては大いに力を与えるものだったに違いない。そして、それは、「未来を見て見ぬふりしている大人たちよ、頼むから私たちを放っておいてくれよ、邪魔だけはしないでくれよ、自由に未来をつくらせてくれよ」と言っているように僕には聞こえた。
実際、大人たちは子どもたちに有利な未来の前提をつくれていない
・日本の少子高齢化=世界最先端で進む少子高齢化・人口減少は確定的な未来
・日本の相対的安い国化=G7で唯一GDPが増加しない国
・増え続ける国の借金1,200兆円超=MMTなど議論はあるが未来に対してプラスなわけはないなどなど
どう言い訳をしても、子どもたちがいつでも日本を脱出できる準備をすることを止めることはできないのである。なのに、日本の教育は、いまだに日本という島国に一生暮らすことを前提としている。
加えて言えば、いまだに日本という国にとって、都合の良い人材育成を求めている。極端な話、髪の毛は黒じゃなければならない、ツーブロックは事件に遭うから禁止なのだそうだ。
未来をつくるための教育をはじめよう!それがジャンプだ!
というとすぐに英語教育だ!というのは、僕を含めた英語が満足にできなくて旅行ではなく生きるという意味で日本を出ることができなかった大人のたちのコンプレックスだが、これまで出なくても生きられた大人たちの考えはまだまだ緩くて、小学校から始まる英語のカリキュラムは対症療法に過ぎない。
そこで注目されているのがグローバル教育を提供するプリスクールの存在である。日本では認可外保育園という扱いになるが、ここには法律の縛りがないため、英語での授業を学校によっては外国籍の子供達と一緒に学べる機会が急増し、いまや全国には800校をこえるプリスクールが英語で授業を行なっている。ところが、小学校入学前にネイティブの英語を身につけた子どもたちは、「小一の壁」に阻まれ、英語能力を小学校の間にほぼほぼ忘れてしまうのである。
参照記事:プリ・キンダー卒園児の英語力が恐ろしく落ちる「小1英語の崖」
未来教育>英語教育 そこにジャンプがある
未来に資する教育を→親が英語ができなかったから英語やらせよう→結局習い事と変わらない→ピアノをやめたら弾けなくなるように、英語環境を失ったら忘れる・・・
これは教育ではなく、習い事だ。教育とは、「人生を充実させ死ぬまで尽きない資力=考え方を養うこと」であるはず。
受験、偏差値教育は知識はため込むが、ある一定以上ため込まないと、その使い方にはなかなか気づけない。例えば、世界史を暗記しても、カトリックの国に旅行に行って壮麗な大聖堂を見てこれがどういう背景で建造され、現地の人たちにとってどういう存在なのかについて考えを巡らせることは、ある一定以上の知識をため込んだ上で、さらに自分で気づかない限りはできない。
日本の教育の問題点はある一定以上の暗記をできない限り、その先にある深みに連れていってもらえないことであり、多くの子どもたちは学びを学ぶ前に脱落する。
未来教育をはじめよう
「未来教育」というのは、この新しいメディア「eduJUMP!」のキーワードであり、僕がつくった言葉でもある。この言葉の背景には、日本を代表する国際バカロレア教育の研究者である大迫弘和氏の言葉がある。
私たちの文化は世界の数あるものの一つである=One of Them
と同時にこの地球はひとつにつながった=Only Oneのものである
この関係が心底わかることが、グローバルな教育の目的である。
僕は、冒頭でこれからの子どもたちが日本を脱出する準備をし、グローバル社会で生きる学びを始めるのを大人は邪魔してはならない、と述べたつもりだ。そのために、One of Them と Only One (Earth) を知るのは必然で、それをダイバーシティと呼ぶ。例えばダイバーシティという言葉は日本でもいまや市民権を得ているが、なんとなくそういう感じだから従わなければならない、と思っているから日本は世界最低レベルの女性の社会進出状況=ジェンダーギャップ指数が一向に改善しない。
ニーズのないダイバーシティはニセモノだ。
超極端な話(僕はまったくそう思っていないが)、現在の日本という島国にはダイバーシティは必要がないから日本の女性社会進出状況は最低レベルのままなのだ。だからいいじゃないか。とその大人たちが死ぬまでは通用するかもしれないが、子どもたちはその後の社会を生きるのだ。その子どもたちのために教育はあるのだ。
そのニーズを大人たちが想像することを拒否した結果、もし教育が目をそらしたら、日本はさらに40年遅れる。
教育は未来づくりだ。
これを読んでいるあなたは自分で未来をつくろうと奮闘しているはずだ。さらに親として、子どもの未来と向き合っている人も多いだろう。わからないことだらけだけれど、子どもにいい未来を与えてあげたいと必死に考える。だけど、その途中で、この国の教育はどうやら子どもの未来にとっての最適解ではないのかもしれない?と気づくかもしれない。
あれ?日本の教育は全部、主従が逆だ。本当なら、学ぶニーズがあるから学ぶことが、テストや受験をニーズに暗記大会が行われ、偏差値がそれを冷酷に評価する。何より、学校で学んだことが社会で役に立たないことはこの国では常識とされる。先生は壇上から一方的に授業という暗記課題を黒板に板書し、生徒は暗記課題をノートに書き取り、テストのために脳ミソに焼きつける。テストでいい点をとることがゴールで、人生とはまったく関係がない。ドラえもんの暗記パンが欲しくなるような教育は教育ではない。
何のために学ぶのか?
それは、人類の進歩の結果、ものすごく小さくなった地球、どこにでも行ける地球、コロナウイルスや海洋性プラスティックのようにどこかの何かが地球全体の運命を左右する地球=Only One Earth、その中で自分の立ち位置、使えるリソース、文化、歴史=One of Themである我が日本をしっかり認識し、それに固執するのではなく=Diversity、世界の中で自分がどう生きる意味があるのか、自分は何ができるのかを自分が起点となって考え、学び、日本に世界に貢献できる自分が一番輝き幸せになる姿を追求していく。
いま、「えっ、そんな気持ちで生きたことないよ」と思った大人たち。いま、未来に不安を持ち、自ら道を拓こうとしている子どもたちのプレゼンをぜひ聴きに行ってほしい。「未来の仕事の65%はまだ存在しないんだから、お願いだから邪魔だけはしないでほしい」という子どもたちの叫びを聞いてほしい。大人たちがここまで生きてきた地球、日本と、現在の状況は驚くほど異なる。前提が違うのだ。残念ながら我々大人たちは、これからを生きる子どもたちに不利な前提しかプレゼントできなかった。教育ぐらい今からでも遅くない、可能性を与えてあげなければならない。
教育の主体は大人や国ではない。未来をこれからつくる子どもたちだ。
そのために、いまこそジャンプしよう。
福田 崇
教育ガラガラポンproject 代表
電通 クリエーティブ・ディレクター
カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル 2015 審査委員