インターナショナルスクールの原点を探ると旅行代理店が一つの原点です。
ちなみに世界初の海外旅行代理店のイギリスのトーマス・クック社(Thomas Cook & Son)です。
同社は、残念ながら2019年に営業を停止しました。
世界一周旅行は、世界規模の旅客移動の変化でした。
1870年代の世界一周
同社が世界一周団体旅行を始めたのが今から150年前の1872年。
船旅による世界一周旅行をトーマス・クック社は販売を開始しました。
イギリスのリバプールを出発し、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコから日本を経由し中国、シンガポール、インド、スエズ運河を通ってイギリスに戻る行程でした。
1930年前後、硬式飛行船がドイツからアメリカ合衆国や南米までの飛行していました。
しかし、ヒンデンブルク号が爆発事故を起こしたため、安全性から定期旅客手段とはなりませんでした。
トーマスクック社が世界一周旅行を販売始めた頃、日本で最初のインターナショナルスクールが横浜に開校しました。
今のサンモール インターナショナルスクールです。
交通手段と海外駐在員の移動性は、密接に関係があります。
旅行代理店のトーマスクックが世界一周旅行を販売した時期は、海外駐在員が増加し始めた時期です。
船旅から半世紀。
世界はより早く、安い移動手段を獲得します。
一頭の象の名前がそのシンボルです。
1970年代のサーカスの象
インターナショナルスクールの歴史の第二波が1970年代からのインターナショナルスクールの増加です。
1970年代、海外駐在員の移動手段は飛行機になりました。
当時、イギリスのサーカスの人気者だった象の名前が大型旅客機ボーイング747に名付けられました。
ジャンボと呼ばれた大型旅客機は、一度に輸送できる人数も、500席と従来の2倍以上でした。
大型旅客機により、航空券が安くなり、多くの旅客が仕事、旅行、そして駐在員として世界を移動しました。
人の往来が多くなると同時に、さらに貿易が盛んになり、現地工場、サービスの取引、海外駐在員のニーズが増えました。
冷戦構造の中で、紛争・戦争は局地的にありましたが、海外駐在員数は増加を遂げました。
1990年以降の格安航空会社LLC
1990年代の航空規制緩和により、格安航空会社が創立されました。
格安航空会社の増加により、海外への移動手段が安くなりました。また、海外駐在の移動手段はさらに増えコストが下がりました。
海外旅行の渡航費が世界規模で価格が下がり、多くの海外旅行客や海外留学を身近なものにしています。
移動手段の低価格化は、国際移動性を高め、結果的に経済の活性化につながり、経済を中心とした貿易など海外駐在員を増加させています。
今後も移動手段の低価格化が進むと考えられ、海外生活を体験した人口が増加することによって、世界的にインターナショナルスクールがより多くの人にとって身近な存在となりつつあります。
移動手段の低価格化によって新たな学びも
ミネルバ大学やThink Global Schoolは、プロジェクトベースで学びます。
学生、生徒は世界を移動しながら、学びにふさわしい国、地域に移動します。
海外への移動手段が低価格化することによって、学びも変化しています。
日本では、インフィニティ国際学院が広域通信制高校と連携しながら、プロジェクトベースで国内外を探究しながら学ぶ学校です。
地球規模で探求的なプロジェクトラーニングを進めるインフィニティー国際学院のような学びは、インターナショナルスクールの学びをキャンパスから解放し、世界規模で学ぶ仕組みです。
同校のような学びは、まさに国際同性の便利さと探究学習の学びの深さを融合させたものであり、さらにICT教育を使うことによりより自由に柔軟な学びの仕組みを作り上げました。
国際移動の次
世界を旅しながら学ぶインフィニティー国際学院の学びはグローバル・ローカライズの最先端といえます。
コロナ禍でグローバル・オンライン化は一時中断していますが、ワクチン摂取によって留学生が戻りつつあります。
これまで生徒、教職員が世界を移動していましたが、コロナによってバーチャルリアリティーの教育コンテンツが普及され、移動手段が、リアル移動とバーチャル移動に二分化されそうです。
バーチャル移動は、リアルより安く、新たな体験型授業として教材の開発が進みそうです。
トーマス・クック社の世界一周旅行から、駐在員の移動手段の増加、そしてローコスト化をインターナショナルスクールは恩恵を受けてきました。
実は、デジタルシフトによる教育手法の豊富さが注目になりそうです。